2015年3月8日日曜日

新訳 留魂録 「吉田松陰の死生観」

新訳 留魂録 「吉田松陰の死生観」


吉田松陰のことは何度もこのブログで書いているが、
今から約180年前の幕末に生まれた人である。

実際歴史上大きな事を成してはいないが、吉田松陰から松下村塾で学んだ人々(門人)が、
松陰の死後、幕末から明治にかけて活躍する人物を輩出したのであります。

幕末というそれほど昔では無いことからも、松陰の記した書物、手紙などが多く残っており、
史実言えるものあり、それらを紐解いていけば本当の松陰の心や魂が学べるのではないでしょうか。




この本にも度々登場する野村和作(靖)は、「松陰という偉人の息吹にふれるためには誰かが書いた伝記を読むより、
松陰の書いたものを「原文」でよむべきである」と主張しています。
ただ、この本の著者松浦光修氏は、わが国のの人々にとって松陰が書き残した「原文」はある意味、
外国語よりも難しいものでになっていると言います。
わずか数百年前の先人たちの言葉が通じなくなっていることを憂いていますが、
確かに恐ろしい気がします。
けれど、事実として現在の人にはわかりずらいので、わかりやすく「超訳」していただいているのですが、
松陰の文章自体は力強い漢詩調のものが多いそうですが、松陰は「丁寧な人」であったろいうことから、
「です・ます調」で書かれています。

さて、題名にある「留魂録」とは、松陰が処刑される直前、自身の死を知っているうえで、二日で書き上げた遺言書といえるものです。
このような状況で一体人は何か書けるのか私はわかりません。
尊敬する松陰は最後に何を書いたのかとても興味深く、類書も多々あるなか、この本を選んで読ませていただきました。

また、この本では「吉田松陰の死生観」として、「留魂録」以前の手紙や論文の中から「死生観」に関するものも掲載されていて
ただの翻訳本としてではなく、一冊がストーリーのように繋がり、それぞれの資料にも補足や余話などがあり大変わかりやすく読みやすくなっていました。

感想としては、松陰の事をある程度知っている人なら予備知識を持って読むことができるのですが、
日本国を心から思い、当時の揺らぐ情勢を憂い、尊王攘夷という思想で天皇を中心にこの国をなんとかしたいと
命がけで考えた人ということがよくわかります。

松陰の関連の本にはよく出て来る事として、「人生の四季」もこの留魂録の中に記されています。
人生に長いも短いも無い、いかに生くべきかという、私が心打たれた松陰の魅力が溢れている一冊でした。

読み終わってみて、実際に松陰の死生観で今の自分に活かせるものは何だろうかと考えたところ、
今の自分にはあまりにも遠く感じるのです。
そう、とてつもなく距離感を感じる思想なのです。

しかし、松陰の思想教育が難しいものかといえばそうではありません。
誰しもが普段の生活で活かしたいものは当然あり、それは巻末で著者が書かれていますが、

松陰は「学問というのは、人が人である根拠を学ぶことにその目的がある」と書いています。
では、「人が人である根拠」とは何か、
それは「五倫」(父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信)である。
つまり、今でいう「道徳」や「倫理」を学ぶということだったのです。

松陰の兄梅太郎(民治)が晩年に若者に対して言った言葉で
「どうか勉強をして、善い人におなりなさい」と言っています。
松陰の兄は、学問の最終目的は「偉い人」ではなく「善い人」になることと学生に言っています。

ようするに、松陰にとって「学問」とは「人が“善く”生きるとはどういうことなのか?」
という事を学ぶことであり、また、その学んだ事をそれぞれの人が自分の人生で“実践”することだったのです。

とあります。
まだまだ未熟ではありますが、この文章で心がスッとし、心に刻んで生きていきたいと思うのであります。

もう少し深く吉田松陰を知りたいという方にはお薦めの一冊です。

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