「わたしの小さな古本屋」
仕事辞めた日に、古本屋をやると決め21歳で開業。
それから20年という著者。
古本屋という商売の難しさもわかるが、
あくまでエッセイなので小難しい数字は書かれていない。
著者のおっとりした、ほのぼのした空気が読み取れる
読みやすい本だった。
元々本に関わってきた僕。
いわゆる新刊書店と古本屋の違いは知っているし、
なにより子供の頃から書店好きで、古本屋にもよく通っていた。
そんな色んな昔のことがオーバーラップしながら
楽しく読めた。
好きじゃないと続けられないという、
「好き」というポイントがどこなのかもなんとなくわかる。
本屋って、本そのものが好きとかとは別に
「本が並んでいる空間」が好きなんだよね。
そこがポイントだと思う。
この「蟲文庫」があるのが倉敷とはいえ、
僕が育った倉敷とはずいぶんと離れた場所。
しかし、本の内容に出てくる地名などは知っている地名もあり、
懐かしい気持ちにさせてくれました。
どうせ、いつか、古本屋をするなら早くしたほうがいいな
なんて思った。
文中にでてくる木山捷平(岡山の作家)のところから
気になった文を抜粋
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あのころから、時代はずいぶん変わりました。
でも、より先へ、より前へという世のなかの風潮が性に合わないという人は、
どんな時代にも変わりなくいるものはずです。
いや、庶民と呼ばれるわたしたちは、いつもたいていそんなところでは
ないでしょうか。
木山捷平の文学は、そんなわたしたちの心をふっと温かくゆるめさせ、
そして、そのどこ吹く風といった風情の猫の欠伸のような反骨で、
そっと励ましてくれているのだろうと思います。
「出来ることばかりが能ではない、出来ないからこそ出来ることもある」
これは、心身の成長が遅く、愚図と言われ続けたわたしが、それでも
こうして、なんとか世間と折り合いをつけられるようになるまでに得た、
自分なりの人生哲学みたいなものですが、囲碁や将棋が好きだった
木山捷平の名文句
「駄目も目である」
にどこか通じるものがあるようで気に入っています。
投げやりでも開き直りでもない、ただ、「とにかく生きている」
という実感だろうと思うのです。
木山捷平の詩や小説を愛読する人がいる限り、
世の中もそう捨てたもんじゃない。
このごろだいぶいい色になってきた「木山さんの梅酒」
を眺めながら、つくづくそう思います。
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